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「群馬は地震が少ない」は安全神話か?
群馬大学 早川由紀夫教授の報告書です。
えりあぐんま第4号1997原稿
「群馬は地震が少ない」は安全神話か?
早川由紀夫(群馬大学教育学部)
1995年1月に発生した神戸の地震で6000人余の犠牲者が出ました.近畿地方はそれまで「地震が少ない」と言われていましたが.
その認識は正確ではありません.近畿地方では,過去に何回も大きな地震が起こっています.たとえば豊臣秀吉の安否を気遣って加藤清正が伏見城に駆けつけた1596年の地震は,「地震加藤」という歌舞伎として現代まで伝わっています.天守閣は大破し,城内で約600人が圧死したと言います.京都の寺社にも大きな被害がありました.また『平家物語』や『方丈記』の中には,「なゐふる(地震があった)」という文字をいくつもみつけることができます.
ところが1948年の福井地震を最後に,近畿地方では,1995年1月まで大きな揺れを感じることがありませんでした.地震で揺れることがほとんどない静穏期が47年も続いたのです.この例外的に長く続いた平穏のなかで,近畿地方の住民や行政が過去を忘れてしまいました.
一方,地震学界では,近畿地方は地震の危険が大きい地域として認識されていました.すでに1969年に地震予知連絡会によって,日本に8つある特定観測地域のひとつとして「名古屋・京都・大阪・神戸地区」が指定されていました.
群馬県も「地震が少ない」と言われていますが.
過去1000年間に群馬県内で地震によって死んだ人の数は,1931年の西埼玉地震による5人だけです.「(甚大な被害を引き起こす)地震が少ない」という群馬県民の意識と歴史的事実が一致しています.
理科年表がCD-ROMになったばかりのころ,日本各地で1961-1993年に感じた震度3以上の揺れの回数を,当時私の学生だった山田香織さんに数えてもらいました.宇都宮は221回,水戸は258回,東京は192回,熊谷は87回でしたが,前橋はわずか35回でした.前橋より揺れない観測点は日本にたくさんありますが,関東地方の中でくらべると,前橋は確かに揺れる回数が少ないと言えます.
では,なぜ群馬県は地震が少ないのですか?
日本列島では,地震はおもにプレート境界で発生します.日本列島がのっているプレートの下に太平洋プレートが東から沈み込んでいる日本海溝は,日本最大の地震の巣です.内陸の群馬県は日本海溝から遠いために,地震の揺れをめったに感じないのです.関東平野の下には太平洋プレートだけでなく,南からフィリピン海プレートも沈み込んでいて,たいへん複雑な地下構造となっています.これによって,茨城県南西部や千葉県東部に小地震の巣ができていますが,そこからも群馬県は離れています.これが第一の理由です.
もちろんプレート内部でも地震は発生します.淡路島の北西海岸に沿って走る野島断層は,1995年1月に長い眠りから覚めて近畿地方に地震被害をもたらしました.長野県松代で1965年から始まった群発地震は,間遠にはなりましたが,30年以上すぎた今もまだ続いています.そういった地震の巣が群馬県内には過去1000年間発生しなかったというのが第二の理由です.
第三の理由として,前橋の震度観測点である前橋地方気象台の地盤が,近隣観測点にくらべると揺れにくいらしいということが挙げられます.地方気象台を含む前橋市街地は,利根川が山地から関東平野に出て展開している扇状地の上にあります.利根川が山から運んできた玉砂利からなる厚い地層の上にのっているので,免震効果がうまく働いているのではないかと,私は想像しています.この地盤条件は高崎市と伊勢崎市にもあてはまります.
なお,県東部の館林市周辺は,茨城県南西部の「地震の巣」に近いので,小さな揺れを感じる回数が前橋よりずっと多いようです.
活断層の危険について教えてください.
家の裏の崖に活断層による地層の食い違いが見えているとしましょう.おそろしい地震波がその食い違いから発生して家が倒壊するのではないかと心配するのは誤りです.そんなことはありません.地震波は,大きな力によって押さえつけられている地下の巨大な割れ目(これを震源断層といいます)が急にずれることによって発生します.地表で私たちがみることができる活断層のずれは,この震源断層のしっぽであると考えるのがいいでしょう.それ自身には地震を起こす能力がありません.
ですから,活断層は隣町を通っているから自分のところは大丈夫だ,などと考えるのは誤りです.地下の震源断層のかたちは長方形で近似できます.たとえばマグニチュード7.0の地震を発生させる震源断層なら,その長辺の長さは約30km,短辺の長さは約15kmです.おそろしい地震波は,活断層のすぐ近くだけでなくその地域一帯の数十km四方を襲います.
個々の地点の被害推定には,活断層との幾何学的位置関係より,むしろその地点の地盤のよしあしが問題になります.利根川のかつての流路には,液状化しやすい砂礫層が地下浅いところにあります.その上にのっている家が傾いて,活断層のすぐ近くよりずっと大きな被害が生じることはありそうなことです.
活断層をまたいでつくられている建造物は,震動による被害だけでなく,ずれによる被害も受けます.ずれによる被害を極端にきらう建造物を活断層の真上に建てることは避けるべきです.しかし建造物の耐用年数と地震発生確率を突きくらべて冷静に評価しないと,日本では土地資源の有効利用ができなくなるでしょう.
活断層がなければ安心ですか?
それはちょっと楽観的すぎます.活断層は震源断層のしっぽですから,ひょっとするとしっぽが地表に見えていないだけで,じつは地下に大きなナマズが隠れているかもしれません.
甚大な被害は,浅いところで大きな地震が起こったときに発生します.これは,大きな震源断層が地下浅いところで動いたことを意味しますから,地層のずれすなわち活断層が地表に出現することが期待されます.しかし,地震のあとに地表面が更新されてその傷跡が消されてしまった場合は,このしっぽを今みつけることはたいへんむずかしくなります.関東平野には新しい地層が厚く堆積していますから,活断層をみつけることがむずかしい地域です.
1995年1月の神戸の地震のあと,活断層が地震の元凶として注目されています.たしかに活断層に注目すると内陸で発生する地震の防災に役立ちますが,プレートの沈み込み口で発生する海の地震も忘れてはなりません.内陸にある群馬県では,そのような地震で被害が出ることはないでしょうが,新潟へ海水浴にいったときに地震の揺れを感じたら津波に注意する,といった程度の知識をもつことは必要です.
地震保険での群馬県の取扱いはどうなっていますか?
地震保険の料率は,歴史時代に起こった地震のデータに基づいて,都道府県ごとに決められています.いまは1991年に改訂された表が使われています.もっとも料率の高い4等地は,東京都・神奈川県・静岡県です.群馬県は2等地です.2等地の保険料は4等地のそれの半分以下だそうです.
群馬県の地震対策はどうなっていますか?
群馬県では,消防防災課が地震対策を担当しています.神戸の地震のあとすぐ,そこに地震被害想定調査検討委員会(音田功委員長)が設置され,1995年度から3年計画で検討が進んでいます.「マグニチュード7.0の地震が,県内3地点の深さ5kmで起こることを想定して」防災対策が進められています.
1996年度に,群馬県内70市町村すべてに計測震度計が設置されました.このネットワークは消防庁の補助金によってつくられました.複数の地点でほぼ同時に揺れが感じられると,消防防災課の室内の電光パネルに計測震度が自動的に掲示されます.そしてそのデータはただちに,各市町村にファックスで自動送信されます.
県南部にある平井・櫛引断層帯は1931年西埼玉地震の震源断層だと考えられていますが,この断層の調査が,科学技術庁の予算で1996年度から2年計画で行われています.消防防災課は,地震学者と行政官からなる活断層調査委員会(新井房夫委員長)を組織し,中央開発という民間コンサルタント会社に実務を担当させています.
県や市町村レベルの地震防災はふつう,地域防災計画のなかの一項目として取り扱われます.地域防災計画は3年ごとに見直しをすることになっています.神戸の地震のあと,本腰を入れて地震対策に取り組もうとし考えた自治体が群馬県内にもいくつかありますが,防災計画の基礎となるアセスメント調査は,民間コンサルタント会社に発注されるのがふつうです.
国の地震対策の最近の動向を教えてください.
神戸の地震のあと,地震防災対策特別措置法が施行されました.この法律に基づいて総理府に置かれた地震調査研究推進本部が地震対策にいま積極的に取り組んでいます.庶務は,科学技術庁が担当しています.神戸の地震の前は,地震予知連絡会の動きに耳目が集まることが多かったのですが,地震予知連絡会は国土地理院長の私的諮問機関ですから,今後は,法的根拠がしっかりした地震調査研究推進本部のほうが国の地震対策の中心になるだろうとみられます.
地震調査研究推進本部は,情報の公開に熱心です.インターネットを利用できる方は,http://www.jishin.go.jp/main/welcome.htmへ接続すると,地震情報・トレンチ公開情報・各種報告・委員名簿などを見ることができます.平井・櫛引断層帯の1996年度報告書も置いてあります.
「予知よりも防災を」といったことを最近よく耳にしますが.
神戸の地震は,直前に予知することが残念ながらできませんでした.これを受けて,予知は本来的にできないとか,予知が実現するのは当分先のことだ,などという意見が説得力をもって語られるようになりました.
国もこういった世論に沿うように,これまでの短期予知戦略から長期予知と直後防災へ軸足を移動しつつあるように見えます.長期予知はトレンチ工法による活断層調査,直後防災は地震計ネットワークによる揺れの精密把握で代表されます.
以下では,国による直後防災の取り組みを具体的にお話ししましょう.
気象庁はいま,全国に20km間隔で600台の計測震度計を置いて,これまでよりずっときめ細かい震度情報を発表しています.テレビで流れる震度情報に聞いたこともないような地名がたくさんでてくるようになったことに,みなさんお気づきでしょう.気象庁は,計測震度計の数を1999年には3300台にする予定だといいます.
科学技術庁も全国に約25km間隔で1000台の強震計を独自に置き,震度分布を即時に表示するネットワーク(K-net)を開発して,すでに運用しています.K-netはインターネットで公開されていますので,誰でもその情報に接することができます.
国土庁は地震防災情報システムを1996年4月より運用しています.あらかじめ用意した地形・地盤・人口・建築物・防災施設などの地理情報システム(GIS)に,気象庁から配信される震度データを入力して,全国1kmメッシュで震度分布の推計と,被害の推計を行うそうです.地震発生後30分以内に推計結果が得られるといいます.
国ではないですが,横浜市が運用している高密度強震計ネットワークシステムは熱心な取り組みとして評価できます.横浜市内に150の強震計を設置して,横浜市立大学との密接な連携によってデータを解析しています.横浜市がこのようなシステムをつくることができたのは,地震で大被害を受けた神戸市が姉妹都市であることのほかに,基礎研究が重要であるという学者の意見に行政担当者が理解を示したからだと思われます.
民間の地震対策はどうですか?
JRは,大きな揺れを感じたら列車を止めるユレダスという独自のシステムをもっています.在来線は40-50km間隔,新幹線は20km間隔で地震計を置いています.その総数は400台を超えるといいます.ユレダスの目的は,1)危険地帯に列車を高速で突入させないためと,2)地震後の点検・復旧作業を迅速に行うため,です.
東京ガスは,地震時導管網警報システム(SIGNAL)を1994年6月から運用しています.331台の最大加速度計,20台の液状化センサー,5台の基盤地震計を設置しています.情報の一部がインターネットで公開されています.
群馬県には浅間山をはじめとして活火山がいくつもありますが,それらの危険はどう考えたらいいでしょうか?
群馬県には活火山が6つあります.浅間山・草津白根山・榛名山・赤城山・日光白根山・燧ヶ岳です.
浅間山は最近おとなしいですが,20世紀の初めから半ばまで約3000回の爆発を繰り返しました.このうち12回で死亡事故が起こり,合計約30人の登山者が命を落としていますが,この危険は,登山しなければ防げるものです.
1783年(天明三年)の噴火で北麓から発生した岩なだれと,それが吾妻川に入って転化した熱泥流に多くの村が飲み込まれて1400人余りが犠牲となりました.
1108年の噴火で発生した追分火砕流は,嬬恋村大笹と長野原町北軽井沢に達しました.この火砕流による被災状況は史料に書かれていませんが,多数の死者が出たに違いありません.この火砕流が残した厚さ数mの堆積物の上で,群馬県側ではいま3000人が生活しています.長野県側は5000人です.
草津白根山はどうですか?
草津白根山は,1882年に約2000年ぶりの噴火をしました.そのあと1997年まで噴火があった年が18年あります.草津白根山はいま現在噴火中であるといってもいいでしょう.
1932年に,湯釜の中に当時あった硫黄鉱山で働いていた工夫2人が泥流に飲まれて死亡しました.1971年にはスキーヤー6人が,1976年には登山者3人が,いずれも硫化水素ガスを吸って亡くなる事故が起きました.いまは危険地帯にガスセンサーが設置されていますから,このような事故が発生する確率は減っています.
1982-1983年に何度か起こった小さな爆発でも,直径10cmの岩塊が山頂駐車場を直撃しました.湯釜から噴火が始まれば,山頂域だけでなく,火口から3km以内の距離にある万座温泉・殺生河原・渋峠も投出岩塊の射程範囲内にあることを,観光客を含めてすべての関係者が知っておくべきです.
1902年には志賀草津道路の南側にある弓池のほとりで爆発が起こり,小火口を形成しています.噴火口が開くのは湯釜周辺に限らないことも知っておくべきです.
他にも危険な火山はありますか?
榛名山の二ツ岳は6世紀の噴火でできた溶岩ドームです.このとき発生した熱雲は,伊香保町・渋川市・吉岡町・榛東村の全域と前橋市などの一部を一瞬にして焼きつくしました.その土地の上には,いま約20万人が住んでいます.
赤城山・日光白根山・燧ヶ岳では,過去2000年間には犠牲者が出ていないようです.
学生の瀧沢千夏さんに先日,地震による死亡者数と火山噴火による死亡者数を都道府県別にくらべてもらいました.噴火死者数が地震死者数を上回ったのは6道県でした.群馬県がトップで,その比率は群を抜いていました.
水害の危険はどうですか?
水害は,人命よりむしろ財産を保全対象として評価するのが適当でしょうが,ここでは地震・火山と同様に人命の損失だけを考えます.
有名な1947年カスリン台風では699人が亡くなっています.そのあと,1947年アイオン台風10人,1949年キティ台風49人,1958年21号台風14人,1958年22号台風1人と続きます.最近でも1991年12号台風で1人が亡くなっています.
水害の危険と火山の危険のどちらをみなさんはつよく感じますか?
自然災害の危険は,人為災害(たとえば交通事故)の危険とくらべてどうですか?
群馬県では,昨年(1997年)チャレンジ200といって,交通事故による死亡者を200以下に減らそうというキャンペーンを展開しました.人口200万人の群馬県では毎年約200人が交通事故で死亡しているのです.毎年1万人にひとりの割合ですから,個人の側からみると,交通事故で死亡する確率は1万年に1回です.
過去1万年間に深刻な自然災害が起こった地域では,住民をその脅威から守るための防災対策が,交通事故の防止対策と同じくらい熱心になされていいのではないでしょうか.ヒトの寿命を100年と考えれば,その自然災害で死ぬ確率をその地域すべての人が1%程度もっているのですから.
火災事故による群馬県内の死者は毎年20人ほどだそうです.このうちの半数は自殺だとのことですから,交通事故の危険にくらべれば火災の危険は桁違いに小さいとみてよいでしょう.
では,群馬県民は地震に関しては安心していいでしょうか?
はい,と言いたいところですが,じつはちょっと気がかりなことがひとつあります.平安時代初めに書かれた『類聚国史』に次の記述があります.「弘仁九年七月,相模,武蔵,下総,常陸,上野,下野等国,地震,山崩或埋数里,圧死百姓不可勝計,...如聞上野国等境,地震為炎,水潦相仍,...」
弘仁九年は818年です.関東一円で地震を感じ,山が崩れ,大勢の人が死んだと書いてあります.どうやら,震源は上野国すなわち群馬県内にあったらしい.
赤城山南斜面の新里村・粕川村・宮城村では,大規模な高速地すべりの痕跡を多くの地点で認めることができます.上下の地層からその発生時期を推定すると,平安時代初期に起こったことがわかります.
1200年前の上野国で,とてつもなく大きい地震災害が発生した可能性が大きいのですが,その調査研究は遅れています
投稿日:2012年06月27日